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2012/10/26〜28 [競走部]第96回日本陸上競技選手権リレー競技大会

第96回日本選手権リレー 選手コメント 


 第96回日本選手権リレーの選手インタビューを掲載いたします。
※このインタビューは大会2日目に行われたものです。


 

競走部での最後は表彰台の頂点だった。

4×100mR
3走・梶将徳(スポ4)



◇4×100mR
予選 九鬼-竹下-梶-三原 39秒76(1着)
決勝 九鬼-竹下-梶-三原 39秒53(1位)

――4継優勝おめでとうございます!決勝を振り返って
 ありがとうございます。改善するところは個人的な走りの技術とか挙げればキリがないのですが、でも優勝できたっていうことが決勝では一番大きかったかなと思います。全体的にもバトンパスは無難に交わしましたし。

――決勝タイムへの評価は
 記録自体は先生から「39秒3出せれば上出来」というふうに言われていたんですけど、結果的には39秒5だったので、もうひとつだなというのはありました。来年に繋がっていくという意味にしてももう少しタイムは欲しかったかなと思います。

――4継の3冠は梶選手が1年生以来の出来事です。
 僕が最後に勝った時を経験している1番最後の代なので、絶対に優勝を後輩にも経験させたいと思っていましたし、それをできるチームだとも思っていました。こうやって早稲田の4継が繋がっていくんだろうなと思いましたね。今度は下の奴らがちゃんと繋げてくれるんだろうと思います。

――その想いをメンバーに伝えたりしたことは
 でも多分やっていく中で言わなくても次第に分かっていくんだと思いますね。実際僕も直接言われたとかではなくて、感じたというか、やっぱこうなんだなーと思ったところが大きかったので、感じ取ってもらえればなと思います。

――4継の後輩に託したいことは
 やっぱり早稲田の短距離を日本だけじゃなくて世界に、という願いはあります。4継に関しては、これからずっと勝てるチームになってほしい。それにこいつら、あと2年後くらいには早稲田記録を出してくれると思うんですよね。それを楽しみに。そういう強い早稲田がずっと続いてくれればなと思います。

――ここからは早大での4年間を振り返ってもらいます。早稲田へはトップアスリート入学ということでしたが、決め手は
 早稲田に入ろうと思ったのは、ちょうど僕が高校3年生の時の日本選手権をテレビで観ていまして、その時の早稲田の関係者が小島さん(小島茂之、平14人卒)と慎太郎さん(木村慎太郎、平21スポ卒)と木原さん(木原博、平21スポ卒)と江里口さん(江里口匡史、平22スポ卒)が出ていまして、早稲田すごいなってそこで憧れたのがきっかけで、行きたいなと思いました。

――1年生の時はその先輩方とリレーを共にする機会もありました。
 そうですね、1年生の時はやっぱり自分もインターハイとかである程度の成績を残していて、早稲田に入ってきたので、やっていく自信はありました。でも4継ではそういう先輩たちのおかげで優勝できましたけど、個人では準決勝落ちという現実があって。そういった点で個人では「もうちょっと」という面がありましたね。

――2年目・3年目はなかなか思うような結果が出ませんでした。
 2年目・3年目はきつかったですね(笑)。あの時期は本当に。早稲田に来て最初の冬季練とか理由を挙げたらキリはないんですけど、ただ、2年生の時に思うように記録が残せなくて、3年生でもまただめで、っていう時はやっぱりどうしても気持ちが下に下に行ってしまって。今思えば何やってるんだっていう話ですけどね(笑)。でも当時はやっぱり気持ちのところが大きかったかなと思います。

――短距離ブロック長に就任してからの変化は
 短距離ブロック長ではありましたけど、キャプテンが浦野(晃弘、スポ4)で、短長の方では牧野(武、スポ4)がメインでやっていてくれたので、僕としては主に短短で、特にリレーのところがあって。やっぱりリレーは4年生が走れてこないと、締りが悪いですが、競技の面にしてもずっと走れていなかったので、本当に大丈夫かなというところはありました。でも浦野と話したりして、皆でやっていこうということになったので、そこからもがいてもがいてなんとか…っていう感じでしたね。

――4年生、最後の関カレでは梶選手のリレー出場がなりませんでした。悔しさは大きかったですか?
 関カレの時もまだ少し走れていなくて、メンバーにも選ばれなくてという感じでした。何もできなかったのはやっぱり悔しかったですね。その時はたしか三原(浩幸、スポ2)も走っていなくて。2人で「次は俺らがあそこで走ろうな」っていう話をしていました。


 

1年間、4継チームを引っ張り続けた
梶に後輩からトロフィーが渡された。

――夏頃から記録が出始めるようになったと思います。その要因を挙げるとすれば
 個人的にはやっぱりそこでなんとかしなきゃっていう気持ちが動いてきて、その中でようやく自分の身体が思い通りに動いてきたっていうのがありました。それがちょうど関カレが始まる直前くらいで。ようやく自分のしたい動きができるようになってきてるなって思うようになりました。関カレには結局出られなかったんですけど、でもそこからきっかけをつかめたので、そういった意味では全カレ前とかは僕が走れないと全体のレベルが上がってこないので、だったらやっぱり自分がっていうところがありました。  

――ご自身の調子が上がるとともに短距離ブロック全体の調子も上向いてきたことは実感としてありましたか?
 そうですね。やっぱり自分が記録を出せば勢いはついてくるなとは思っていたので、とりあえずまずは記録だという意識はありました。

――全カレではリレー決勝での出走が叶いませんでした。
 早稲田はやっぱり勝たなきゃいけないチームなので、4年生最後だから走らせるとかじゃなくて、全体の調子を見てその時一番ベストなメンバーを使って勝つのが早稲田だと思っています。あの時も100mで3人(竹下、九鬼、北村)入賞しましたし、アンカーのところで風汰(林風汰、スポ3)が走って、ていうベストなメンバーで組んで考えてのことだったのだと思います。

――全カレから今日まではどのような思いで臨みましたか?
 全カレからこの選手権までの間に何個か試合がありました。やっぱり全カレで走れなかったのもあって、ここは自己ベスト出したいなというのがありましたし、そうすることで4継の方にもつながってくるっていうのもあったんですけど、結果的には出せずに悔しいところはありました。卒業後は大学院の方に行くんですけど、大学院に行ってから競技を続けるかどうか迷っていて。でも最終的に4年のこの年で競走部は最後にしようと思ったんです。これが最後と思ったらやっぱり個人としても優勝したいですし、もちろんチームがここまでやってきた中でも勝ちたいなというのがすごくありました。


 

最終日はスタンドからマイルチームを応援。史上初の6冠に沸いた。

――今年度の梶選手の抱負は「一意専心」ということでしたが。
 もう本当に陸上だけに向けようという意味でこれを書きました。2・3年の時は今思うとちゃんと向き合っていなかったので、やっぱり最後はという気持ちで。この言葉は高校時代の恩師の先生が結構言っていて、卒業の時にくれた言葉です。

関連URL
早稲田大学競走部公式サイト
第96回日本選手権リレーレポート
日本選手権リレー特別コラム・梶将徳「「一意専心」を貫き、3年越しの4継3冠」

 


 
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